



風の便り1月

1月14日更新
つながりあそび・うたは人になれる
二本松はじめ
2026年もつながりあそびを子どもたちと仲間たちと一緒に楽しんでいきます。よろしくお願いいたします。
戦後80年、被爆80年の昨年、高市政権になって台湾有事発言や非核三原則の見直し発言、核保有発言などが続いています。憲法の下での平和形成の歩みを変えようとしているかのようです。新しい年を迎えてもウクライナ侵攻やガザ地区侵攻は続いていますし、新たにトランプアメリカ政権の国連憲章、国際法違反のベネズエラ軍事侵略が起こり、高市政権は法の支配にもとづく国際秩序をとアメリカの力による支配を非難できないままです。強い日本とかアメリカファーストとか、人がつくり上げてきたすべての人たちが幸せになっていくための人と人とのつながりあいを否定するというか、断ち切る力が大きくなってきているようで不安です。自分だけ、自分の手の届く範囲だけの幸せと逆行しているように思います。人が人らしく育っていかなくなっているようにも思います。育ちづらい、生きづらい時代なのでしょうか。そういう時代だからこそという意味だけではありませんが、もう一度、つながりあそび・うたの楽しさや意味を考えてみたいです。もっともっと多くの仲間と共につながりあそび・うたを広げて行きたいです。自分が自分らしく人らしく生きていくためにも。
今一度書きます。何度でも言い続けます。
「本来、つながりあそび・うたは、楽しいものです。それは、生きていることが本来楽しいことだからです。人間は、生きていることを楽しむために、また、楽しいからあそび・うたという文化をつくってきました。つながりあそびを楽しむということは、生きていることの楽しさを、人と人のつながりあいの楽しさをつくりだすことなのです。
同時に、あそぶ中で、楽しむ中に、楽しむ人から生まれる『自分はひとりじゃない』『仲間がいる』感を育てることを私自身は大事にしています。これがなければつながりあそび・うたとは言えません。
(サマカレの)レジュメの最初に『人(いのち)は人(いのち)と人(いのち)のつながりあいの中で生まれ、つながりあいの中で育まれてきた事実から出発しよう』と書きます。人と人のつながりあいが『人になる』『人間になる』ためのなくてはならない最も必要とされる条件だからです。
人はこの「つながりあい」を人類の歴史の中でより人らしく、より人間らしく発展しつづけてきたのです。それはお互いがお互いの存在を認めあい、許しあい、支え合い、無条件でお互いを受け入れあう中で発展させてきました。みんなが幸せになるために」。
一年前の風の便り1月号で「子どもたちの願い」と出して、「・・・戦後80年、被爆80年。阪神淡路大震災30年。昭和100年等々、今年は節目の年といろいろ各方面から言われています。でも、どうでしょう。ウクライナでは、ガザ地区では、シリアでは、アフリカやアジアでは・・・。いのちを奪われ、家族を奪われ、暮らしを奪われ、日常を奪われています。
日本でも、戦後すぐの話ですが、給食のパンを兄弟姉妹のために持って帰る子どもたちがいたことをニュースで知っていましたが、いまでも給食でしかおなかを膨らませることが出来ない子どもなど、絶えずおなかをすかしている子どもたちがいることも知っています。貧困のために食べることさえ奪われている子どもたち、格差と見えない競争と貧困の中で、未来図を描けない子どもたちがたくさんいる現実があります。
いま、子どもたちから『なんのために生まれてきたの?』『なんのために生きているの?』『しあわせってなに?』等の問いかけに、なんて答えたらよいのでしょうか。その答えを見つけるために、今年もつながりあそびの活動、運動に参加していきたいです。」と書きました。
結論として、その答えを見つけることはできなかったです。あなたはどうですか? でも、その答えを見つけるためのつながりあそび・うた活動・運動ということを改めてわかってきたようです。その答えを見つけるために人間って生きているのかな、オーバーかな、私は生きているのかなと思うようになってきました。もう少し出来る時に、できることで精いっぱい頑張ってみるかな、楽しんでみるかなと思っています。
昨年は、各地実行委員会によるサマーカレッジの開催をはじめ、つながりあそび・うた研究所35周年記念をお祝いするコンサートとプログラムを兼ねた記念誌発行など仲間たちが楽しい活動、運動をつくってくれました。きっと、多くの仲間たちは、保育や教育などの現場で、地域で、つながりあそび・うたを子どもたちや仲間たちと楽しんできたと思います。
私自身の活動の一つとして、12月に例年のように鹿児島の療育の子どもたち、仲間たちとつながりあそびを楽しんできました。嬉しいことに子どもたち、仲間たちに贈った歌が、何年も、日常の暮らし、行事の中で子どもたちに元気に歌われていることが伝わってきました。奄美・春日保育園『とうとながし』、湧水町・みのり『みのりの四季』『ぐんぐんのびろ』、伊佐市・たんぽぽ『みんなたんぽぽ』、鹿児島市・りんく『レッツ・ゴー№.2 ―あしたへー』等々。ちゃんと自分たちの歌として歌ってくれているのです。嬉しいです。ありがたいです。その子どもたちのうたごえを聞きながら、一緒に歌いながら改めて「ひとりじゃない」を感じることができました。ひとりで生きているんじゃない、を考えることができました。子どものように。
最近、「ひとりじゃない」ということで子どものように考えたことがありました。考えるのが遅すぎたましたが。
鹿児島で一緒に楽しんでいる子どもたちの生活を支ええてくれている家族がいるということ。先生(仲間)たちがいるということ。子どもや家族や先生たちが生活している地域があること。地域には地域の暮らしがあること。暮らしをつくる経済・文化活動等々があること。経済・文化等々を創造・継承・発展させてきた人々の歴史があること・・・。
きりがありませんが、ひとりの子どもが楽しんでいるという事実と向かい合ったとき、その子どもにどれだけ多くの人々が関わっているのだろうか、つながりあいがあったのだろうかと考えてしまうと寝られなくなってしまいます。
毎日の食べるということを考えても、どれだけ多くの人が自分に関わっているのか、つながっているのかが想像できます。例えば、お米を作る人、お米を流通する人、お米を売る人、お米を炊く人、お米(ご飯)を食べる人・・・。お米を作る人の前にも、まだ、お米と呼べないのかもしれませんが、お米を見つけた人、その米を共有した人、広げた人、改良した人、等々。また、土壌をはじめとしてお米をつくための環境をつくった人や改良した人々・・・。さらにお米を炊くということだけでもいろんなことが考えられ、どれだけの時間と人々が関わってきたのか、つながりあってきたのか・・・。
何をグタグタ書いているのだと思いますが、そういう人々の歩みや営みの中で、つながりあいの中で人が人として育ちあってきたのかと、育てあってきたのかなと思うのです。
「ひとりじゃない」をともないながら。そういうところに「人としての存在」というか、「生きているって楽しい」を感じているのです。
今、そのような人になる歩みや営みが、残念ながら見えなくなっているように感じます。聞けなくなっているように感じます。見なくなっているのかもしれません。聞かなくなってきたのかもしれません。見たり聞いたりつながったりのツールは進化し、身近になってきているのにも関わらず。もしかしたら見えないように、聞こえないようにされているのかもしれません。今を生きるだけで目いっぱいな暮らしを強いられている社会になってしまったからでしょうか。過去も未来も見えないし、見ない。もしかしたら現在も見えないし、見ていられなくなってしまったのでしょうか。つながりあっている人もごくわずかというか、つながりあいたいと思わなくなっているのでしょうか。その方が自分らしくい
られる、人らしくいられると思っているのでしょうか。
なぜ、そうなってしまったのかを考える年にしたいと思います。もちろんつながりあそび・うたを楽しむこと、広げること、もしかしたらたたかいながらです。
東日本大震災から15年の今年の夢わかばコンサートは、3月8日です。多くの仲間の参加をお待ちしています。
町田ひろしです
新年おめでとうございます。
今年2026年もつながりあそび・うたと共に…そして今年はとにかく挑戦もお試しも含めてtry&errorで参りましょう。
そして新年早々“いじめ”という領域?をはるかに超えているリアルな暴力動画が飛び込んできました。
…こころがくるしいしいです。
ぼくらが思っている以上に今こどもたちのこころが心配です。
人の思考は今後ますます二極化されAIといわれている分野は技術革新という名のもとにますます進み画像や映像は本物かフェイクか今や見分けがつかぬほどに…。
最後はSF映画のようにAIが大統領や総理大臣にでもなるのでしょうか?
どんなに素晴らしいAIでもあの少年の暴力を止めることはできないのですよね…。
時間がたてばすぐに次のニュースやお笑いへ画面は変わっていくんだねぇ…。仕方ないんだろうしこれまでもこれからもそうなんだろうけど…
教室やトイレで目の前にある暴力を見ているしかなかった生徒のひとりになったかのようでやはり心が痛いです…。
新年、急だったけど四国お遍路88か所へ。仕事先でたまたま?高野山の宿坊に泊まったことをきっかけに四国88か所巡礼の旅が始まったのが今から16年前…。
そして今回で無事88か所を終えてきました。
移動はすべて車でしたが一度車を降りてからお参りを終えるまでの一連が毎回毎回がアナログ。そのアナログが実にたのしいのですょ。
便利と不便…、デジタルとアナログ…、モンゴルと日本?(笑)
どちらも一長一短。それを使い分けるのは社会ではなく、みんなが…でもなく、そんな雰囲気だったし、でもなくやはり人であり自分なのですよね。
「因果応報」「そもそも生きることはつらいことなのだょ」と2500年前にお釈迦さんがすでにおっしゃっている(笑)
その話はまたいつかどこかで…。ちなみにぼくは無宗教(笑)
継続は力なり!!!…になるかもしれないね!な感じで、今年もできることをできる範囲で無理なく、かつ楽しみながらおもしろがって2026年を駆け巡りたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたしますね。